大倉山展望台
大倉山は、1972 年冬季オリンピック札幌大会の舞台。
山の稜線に沿って造られた流線のジャンプ台の頂上からは札幌市内が一望でき、日本新三大夜景にも選ばれていた札幌の夜景も存分に堪能いただけます。
大倉山からしか見ることのできない札幌の景色
大倉山展望台は、スキージャンプ台越しに札幌を一望できる唯一無二の眺望施設です。
標高307mのスキージャンプ台スタート地点にある 展望ラウンジからは真正面に大通公園が伸びている景色が広がり、大和ハウス プレミストドームや北海道大学といった市内に点在するたくさんのランドマークを一望できます。 展望台からアプローチ(助走路)越しに札幌市街はもちろん、その先にある石狩湾や、はるか遠くの山々までも見渡せて、四季折々の自然と札幌の街なみが織りなす美しい光景をご堪能いただけます。 石狩平野にも広がる大パノラマは圧巻。スキージャンパーの目線で景色が見られるのも魅力です。
二人乗りリフトで山頂へ
展望台にはスキージャンプ競技選手も利用している二人乗りリフトで移動します。急勾配のアプローチやカンテと呼ばれる踏切台をすぐそばに感じながら展望台を目指す約5分間。スキージャンプ競技選手になったような気分を味わいながら、ぜひ上に行けば行くほど札幌のパノラマが広がっていく、移動中だけの臨場感あふれる景色も忘れずにお楽しみください。
安全なリフトの乗り方
ほっと、一息つける空間
展望台ラウンジ カフェ・セレステ
『展望台ラウンジ カフェ・セレステ』では、札幌市の街並みを一望しながら
ソフトドリンクやソフトクリームなどを楽しみいただけます。
フランス語で「天空」を意味する「セレステ」。
天空と風に揺られる木々を眺めながら、至福のひと時をお過ごしください。
大倉山ジャンプ競技場についてもっと知る
大倉山ジャンプ競技場のあゆみ
1972(昭和47)年の冬季オリンピック札幌大会90m級ジャンプ(現ラージヒル ヒルサイズ137mK点123m)の舞台
標高307mにあるジャンプ競技のスタート地点までペアリフトで上ることができ、展望ラウンジからは札幌市街や雄大な石狩平野を一望できることから、観光客にも人気のスポットです。 2000(平成12)年4月に併設された「札幌オリンピックミュージアム(旧:札幌ウィンタースポーツミュージアム)」では、ウィンタースポーツの歴史を紹介する貴重な資料の展示があるほか、スキージャンプやクロスカントリーなどのウィンタースポーツを疑似体験できます。
競技場概要
所在地 | 札幌市中央区宮の森1274番地 |
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敷地面積 | 8.2ha |
施設一覧 | ラージヒルジャンプ台、運営本部、審判塔、スタートハウス、札幌オリンピックミュージアム(札幌市所有) リフト、 札幌オリンピックミュージアムアネックス(札幌振興公社所有) |
沿革・歴史
1928(昭和3)年2月 | 初めてご来道された秩父宮殿下は、大野精七博士(北海道大学スキー部部長)に、オリンピック用の本格的なシャンツェ建設のお力添えを約束される。(建設費等は大倉喜七郎男爵が提供する) |
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1929(昭和4)年3月 | サンモリッツ五輪(1928年・スイス)ノルウェーチームの監督を努めた、オラフ・ヘルセット中尉を招き指導を仰ぎ、適地として現在の大倉山ジャンプ競技場の斜面が選定される。 |
1931(昭和6)年7月 | シャンツェ構築の世界的権威者であったオラフ・ヘルセット中尉の設計に基づき、シャンツェ建設に着手する。 |
1931(昭和6)年10月 | 完成:総工事費5万円余、アプローチ全長100m・幅6m、ランディングバーン全長130m・幅10m~13m、ブレーキングトラック全長150m・幅30mの「60m級シャンツェ」。札幌市に寄贈される。 |
1932(昭和7)年1月 | 開場式。橋本正治札幌市長(札幌スキー連盟会長)により、シャンツェを寄贈した大倉喜七郎男爵のご厚意に報い「大倉シャンツェ」と命名される。同月17日、初の公式競技「第5回全日本学生スキー選手権大会」が開催される。 |
1952(昭和27)年 | 80m級に改修。 |
1957(昭和32)年 | 国体競技用に60m級「雪印シャンツェ」が併設される。 |
1970(昭和45)年 | 冬季オリンピック札幌大会に向けて大改修を行う。国費7億7千万円で建設。同時にシャンツェは文部省に移管され「大倉山ジャンプ競技場」(国立競技場)と名称を改める。K点110m、観客席は約5万人収容。 |
1972(昭和47)年2月 | 第11回冬季オリンピック札幌大会開催(観衆 42,149人)。90m級ジャンプを実施。優勝:フォルトナ(ポーランド)。日本選手の最高は7位の笠谷幸生。 |
1982(昭和57)年3月 | 日本のスキー界草創以来の指導者であり、宮様スキー大会国際競技会の生みの親である大野精七博士(1885(明治18)年8月17日生~1982(昭和57)年12月30日没)のご功績をたたえ、ゆかりの地、大倉山ジャンプ競技場に「大野精七博士顕彰碑」を建立。 |
1982(昭和57)年11月 | リフト(シングル)が建設される。山頂まで徒歩で20分を要していたが片道約4分に短縮。工事費約1億8千万円、搬器55台、傾斜長285.25m、毎時輸送量450人。 |
1986(昭和61)年 | 国際スキー連盟(FIS)のルール改正に伴い、ランディングバーンとカンテを改修。K点115mに変更される。 |
1995(平成7)年3月 | 国から札幌市に「大倉山ジャンプ競技場」が移管される。 |
1996(平成8)年12月 | FISのルール改正に基づき、ジャンプ台プロフィールが全面改修される。規模:ラージヒル、K点120m、工事費約26億円(ジャンプ台・審判塔) |
1997(平成9)年11月 | ジャンプ台がサマーヒル化され、ナイター照明も完備される。(上記工事費に含む) |
1998(平成10)年5月 | リフト(シングル)が解体撤去される。(工期4月1日~5月10日) |
1998(平成10)年11月 | リフト(ペア)が整備される。片道約5分。工事費約2億5千万円、搬器67台、傾斜長346.39m、毎時輸送量900人。 |
2000(平成12)年4月 | 競技場に併設して札幌ウィンタースポーツミュージアムがオープンする。リフトの一般営業が始まる。 |
2011(平成23)年2月 | 札幌ウィンタースポーツミュージアムがリニューアルオープンする。 |
2017(平成29)年2月 | 札幌ウィンタースポーツミュージアムから札幌オリンピックミュージアムとして生まれ変わり、リニューアルオープンする。 |
2018(平成30)年 | 着地点のかさ上げなどの改修が行われ、K点123mに変更となる。 |
2020(令和2)年6月 | 競技場敷地内にレストラン等を含む札幌オリンピックミュージアム”アネックス”として施設リニューアルオープン(旧クリスタルハウス) |
ジャンプ台プロフィール
【大きさ】 | ラージヒル(札幌五時は90m級) |
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【K点】 | 123m |
【P点】 | 107m |
【バッケンレコード】 ジャンプ台における最長不倒距離のことを指します。Bakken(ドイツ語)とrecordの合成語です。 | カミル・ストッフ(ポーランド)148.5m (1月26日開催FISジャンプワールドカップ2019札幌大会) |
【最高地点の高さ】 | 133.6m |
【スタートゲート】 | 長さ :26.5m 階段数:52段(50cm間隔) |
【アプローチ】 | 長さ :101m 斜度 :35度 |
【カンテ(踏切台)】 | 長さ :7m 高さ :3.3m 斜度 :11度 |
【ランディングバーン】 | 長さ :202.8m 最大斜度:37度 階段数 :628段 |
【HS(ヒルサイズ)】 | カンテから安全に着地できる目安となる地点までの距離137m |
【ブレーキングトラック】 | 長さ :100m 斜度 :3度 |
【特徴】 | 夏でもジャンプ可能な全天候型競技場です。 夏は、水をまくことでジャンプすることができます。 アプローチ面はセラミック製の突起『スノーチャイナ』がついたタイル、ランディングバーンは人工芝でできています。 冬は、アプローチのレールに冷却パイプが引かれ、氷が敷き詰められています。 |
歴代のバッケンレコード
開場時 規模60m級
1932(昭和7)年 | 浜 謙二(SSC) 34.0m |
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1932(昭和7)年 | 山田 四郎(北大) 44.5m |
1932(昭和7)年 | 竜田 竣次(小樽中) 47.0m |
1932(昭和7)年 | 浜 謙二(SSC) 48.0m |
1932(昭和7)年 | 小島 謹也(札商) 49.5m |
1932(昭和7)年 | 松山 茂忠(札一中) 51.5m |
1933(昭和8)年 | 浅木 武雄(小樽中) 56.0m |
1934(昭和9)年 | 竜田 竣次(早大) 61.5m |
1934(昭和9)年 | 伊黒 正次(北大) 67.0m |
1937(昭和12)年 | 星野 昇(北海商) 70.0m |
1938(昭和13)年 | 安達 五郎(札鉄) 70.0m |
1939(昭和14)年 | 浅木 文雄(北海商) 79.0m |
1952(昭和27)年 80m級に改修
1952(昭和27)年 | 柴野 宏明(早大) 84.0m |
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1955(昭和30)年 | 吉沢 広司(同和花岡) 86.5m |
1956(昭和31)年 | 菊地 定夫(明大) 87.0m |
1957(昭和32)年 | 佐藤 憲治(東圧) 90.0m |
1957(昭和32)年 | 菊地 定夫(クローバー) 91.0m |
1958(昭和33)年 | 佐藤 耕一(クローバー) 92.0m |
1961(昭和36)年 | 松井 孝(羽幌炭鉱) 94.0m |
1962(昭和37)年 | 菊地 定夫(雪印乳業) 94.0m |
1963(昭和38)年 | 菊地 定夫(雪印乳業) 102.0m |
1964(昭和39)年 | 菊地 定夫(雪印乳業) 103.5m |
1969(昭和44)年 | ヨセフ・マトウス(チェコ) 104.0m |
1970(昭和45)年 改修工事 K点110mとなる。
*「大倉山ジャンプ競技場」に改称 | |
1971(昭和46)年 | 笠谷 幸生(ニッカ) 112.5m |
1971(昭和46)年 | 金野 昭次(拓銀) 114.5m |
1974(昭和49)年 | 笠谷 幸生(ニッカ) 115.0m |
1977(昭和52)年 | ワルター・シュタイナー(スイス) 115.5m |
1978(昭和53)年 | ビヤルス・ナース(ノルウェー) 118.0m |
1982(昭和57)年 | 八木 弘和(拓銀) 119.0m |
1985(昭和60)年 | 秋元 正博(地崎工業) 122.5m |
1986(昭和61)年 改修工事 K点115mとなる。
1987(昭和62)年 | 嶋 宏大(地崎工業) 120.0m |
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1987(昭和62)年 | P・ウラガ(ユーゴスラビア) 121.0m |
1990(平成2)年 | 安崎 直幹(NTT北海道) 121.5m |
1990(平成2)年 | A・ニエミエン(フィンランド) 123.5m |
1992(平成4)年 | 原田 雅彦(雪印乳業) 123.5m |
1992(平成4)年 | 西方 仁也(雪印乳業) 123.5m |
1993(平成5)年 | 須田 健次(東京美装) 124.5m |
1994(平成6)年 | J・バイスフロク(ドイツ) 125.0m |
1994(平成6)年 | 葛西 紀明(地崎工業) 127.0m |
1994(平成6)年 | 葛西 紀明(地崎工業) 135.0m |
1996(平成8)年 改修工事4~12月 ラージヒルK点120m
1997(平成9)年 | 原田 雅彦(雪印乳業) 127.5m |
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1997(平成9)年 | 吉岡 和也(小樽北照高) 128.0m |
1997(平成9)年 | D・トーマス(ドイツ) 134.5m |
1997(平成9)年 | F・クリスマイヤー(オーストリア) 138.0m |
1998(平成10)年 | 岡部 孝信(雪印乳業) 138.5m |
1998(平成10)年 | 原田 雅彦(雪印乳業) 140.5m (この記録が20世紀に残る永遠の記録となった。70年前のこけら落としの初飛びの記録を4倍以上も伸ばすことになった。) |
2002(平成14)年 | 原田 雅彦(雪印乳業) 141.0m (1月13日開催 第41回STVカップ国際スキージャンプ競技大会) |
2005(平成17)年 | 金子 祐介(東京美装) 145.0m (3月25日開催 第6回伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会) |
2012(平成24)年 | 伊東 大貴(雪印メグミルク) 146.0m (1月21日開催 第39回HTBカップ国際スキージャンプ競技大会) |
2018(平成30)年 改修工事 ラージヒルK点123m
2019(平成30)年 | カミル・ストッフ(ポーランド) 148.5m (1月26日開催 FISジャンプワールドカップ2019札幌大会) |
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※サマージャンプの最長不倒距離は、2007年10月28日開催「第1回伊藤杯サマーファイナル大倉山ジャンプ大会」時の葛西紀明(土屋ホーム)141.0m
※2024年10月時点
札幌のジャンプ台のあゆみ
沿革・歴史
1917(大正6)年3月 | 北大の遠藤教授が三角山に札幌で最初のジャンプ台(仮設)を建設。 |
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1918(大正7)年7月 | 北大スキー部が三角山北側の通称シルバースロープに木造の仮設ジャンプ台(20m級)を建設。 |
1922(大正11)年1月 | 北大スキー部が三角山北側のシルバースロープ東側斜面に日本最初の固定シャンツェを建設。「シルバーシャンツェ」と呼ばれた。(以降2年に渡って整備を行う)アプローチ50m・最大傾斜33度、ランディングバーン80m・平均傾斜30度。 |
1923(大正12)年 | 北海道山岳会が同じ三角山に初級者用シャンツェを建設。「アルファシャンツェ」と命名。アプローチ約23m、ランディングバーン約25m、アウトラン20m。 |
1927(昭和2)年1月 | 第5回全日本スキー選手権大会のため、札幌市が当時「東洋一の大シャンツェ」と言われた「札幌シャンツェ」を建設。アプローチ65m、35mの飛躍距離が可能とされた。「大倉シャンツェ」ができる1931(昭和6)年まで、この台で多くの大会が行われた。 |
1929(昭和4)年12月 | 「大倉シャンツェ」が完成するまでの練習台として、ヘルセット中尉の設計により荒井山に40m級の「記念シャンツェ」を建設。第1回・第2回(1930・1931年)宮様大会は、このシャンツェで行われた。台の名称は「森永シャンツェ」「荒井山シャンツェ」と変わり、現在に至っている。 |
大倉山からの夜景
大倉山だけの札幌の夜景
札幌市の夜景は「日本新三大夜景」に選出されたこともあり、イルミネーションやライトアップで美しく輝く街並みが山の稜線に沿って広がっていく夜景を見られるのは札幌市内でもここでしか見られない景色です。
リフトを降りるとクマとキツネがお出迎え
⽇本新三⼤夜景にも選ばれた札幌の素敵な夜景を、こっそり⾒に来たクマとキツネは、
ある⽇思いがけなくスキージャンプを⽬にして、まるで⿃のように空へ舞い上がるその姿に強い憧れを抱きます。
『こんな綺麗な夜景に向かって⾶び⽴てたら…』
その夜、⼤倉⼭の⼭頂には、ジャンプ台からの景⾊を眺める⼆匹の姿が。
憧れはいっそうふくらみ、⼤きな夢になってゆきます。
それから毎夜現れては、憧れのスキージャンパーとなった⾃分の姿を想像しながら、
札幌の素敵な夜景に流れる星たちに願いを込めるのでした。
夏季限定夜間延長営業を実施
例年7~9月まで夜間特別延長営業を実施しております。期間中は「日本新三大夜景」に選出された札幌の夜景とジャンプ台から眺望できる、世界で唯一無二の景色をお楽しみいただくことができます。