11月20日~12月19日は札幌市の無料キャンペーン実施につき混雑が予想されます。お時間に余裕をもってお越しください。

大倉山の魅力

大倉山の歴史

大倉山ジャンプ競技場のあゆみ

1972(昭和47)年の冬季オリンピック札幌大会90m級ジャンプ(現ラージヒル ヒルサイズ137mK点123m)の舞台

標高307mにあるジャンプ競技のスタート地点までペアリフトで上ることができ、展望ラウンジからは札幌市街や雄大な石狩平野を一望できることから、観光客にも人気のスポットです。 2000(平成12)年4月に併設された「札幌オリンピックミュージアム(旧:札幌ウィンタースポーツミュージアム)」では、ウィンタースポーツの歴史を紹介する貴重な資料の展示があるほか、スキージャンプやクロスカントリーなどのウィンタースポーツを疑似体験できます。

施設概要

所在地札幌市中央区宮の森1274番地
敷地面積 8.2ha
札幌市所有ラージヒルジャンプ台、運営本部、審判塔、スタートハウス、札幌オリンピックミュージアム
株式会社札幌振興公社所有リフト、 札幌オリンピックミュージアムミュージアムアネックス (レストラン、カフェ、ギャラリー)

沿革・歴史

1928(昭和3)年2月初めてご来道された秩父宮殿下は、大野精七博士(北海道大学スキー部部長)に、オリンピック用の本格的なシャンツェ建設のお力添えを約束される。(建設費等は大倉喜七郎男爵が提供する)
1929(昭和4)年3月サンモリッツ五輪(1928年・スイス)ノルウェーチームの監督を努めた、オラフ・ヘルセット中尉を招き指導を仰ぎ、適地として現在の大倉山ジャンプ競技場の斜面が選定される。
1931(昭和6)年7月 シャンツェ構築の世界的権威者であったオラフ・ヘルセット中尉の設計に基づき、シャンツェ建設に着手する。
1931(昭和6)年10月完成:総工事費5万円余、アプローチ全長100m・幅6m、ランディングバーン全長130m・幅10m~13m、ブレーキングトラック全長150m・幅30mの「60m級シャンツェ」。札幌市に寄贈される。
1932(昭和7)年1月開場式。橋本正治札幌市長(札幌スキー連盟会長)により、シャンツェを寄贈した大倉喜七郎男爵のご厚意に報い「大倉シャンツェ」と命名される。同月17日、初の公式競技「第5回全日本学生スキー選手権大会」が開催される。
1952(昭和27)年80m級に改修。
1957(昭和32)年国体競技用に60m級「雪印シャンツェ」が併設される。
1970(昭和45)年冬季オリンピック札幌大会に向けて大改修を行う。国費7億7千万円で建設。同時にシャンツェは文部省に移管され「大倉山ジャンプ競技場」(国立競技場)と名称を改める。K点110m、観客席は約5万人収容。
1972(昭和47)年2月第11回冬季オリンピック札幌大会開催(観衆 42,149人)。90m級ジャンプを実施。優勝:フォルトナ(ポーランド)。日本選手の最高は7位の笠谷幸生。
1982(昭和57)年3月日本のスキー界草創以来の指導者であり、宮様スキー大会国際競技会の生みの親である大野精七博士(1885(明治18)年8月17日生~1982(昭和57)年12月30日没)のご功績をたたえ、ゆかりの地、大倉山ジャンプ競技場に「大野精七博士顕彰碑」を建立。
1982(昭和57)年11月リフト(シングル)が建設される。山頂まで徒歩で20分を要していたが片道約4分に短縮。工事費約1億8千万円、搬器55台、傾斜長285.25m、毎時輸送量450人。
1986(昭和61)年国際スキー連盟(FIS)のルール改正に伴い、ランディングバーンとカンテを改修。K点115mに変更される。
1995(平成7)年3月国から札幌市に「大倉山ジャンプ競技場」が移管される。
1996(平成8)年12月FISのルール改正に基づき、ジャンプ台プロフィールが全面改修される。規模:ラージヒル、K点120m、工事費約26億円(ジャンプ台・審判塔)
1997(平成9)年11月ジャンプ台がサマーヒル化され、ナイター照明も完備される。(上記工事費に含む)
1998(平成10)年5月リフト(シングル)が解体撤去される。(工期4月1日~5月10日)
1998(平成10)年11月リフト(ペア)が整備される。片道約5分。工事費約2億5千万円、搬器67台、傾斜長346.39m、毎時輸送量900人。
2000(平成12)年4月競技場に併設して札幌ウィンタースポーツミュージアムがオープンする。リフトの一般営業が始まる。
2011(平成23)年2月札幌ウィンタースポーツミュージアムがリニューアルオープンする。
2017(平成29)年2月札幌ウィンタースポーツミュージアムから札幌オリンピックミュージアムとして生まれ変わり、リニューアルオープンする。
2018(平成30)年着地点のかさ上げなどの改修が行われ、K点123mに変更となる。
2020(令和2)年4月競技場敷地内にレストラン等を含む施設をリニューアルオープン予定(旧クリスタルハウス)※コロナウィルス感染防止対策のため、オープン延期となる
2020(令和2)年6月競技場敷地内にレストラン等を含む札幌オリンピックミュージアム”アネックス”として施設リニューアルオープン(旧クリスタルハウス)

ジャンプ台プロフィール

ラージヒル□□□□□□□□□□□

バッケンレコード[Bakken record]とは?

スキーのジャンプ競技で、そのジャンプ台における最長不倒距離のことを指します。Bakken(ドイツ語)とrecordの合成語です。

2018(平成30)年 改修工事6月〜10月ラージヒルK点123m

2019(平成31)年カミル・ストッフ(ポーランド)148.5m
(1月26日開催FISジャンプワールドカップ2019札幌大会)

※2021年4月時点

札幌のジャンプ台のあゆみ

大倉山シャンツェ建設以前の札幌のジャンプ台

1909(明治42)年、東北帝国大学農科大学(現北海道大学)予科ドイツ語講師ハンス・コラーによって札幌に一台のスキーが導入され、学生たちが大学構内でスキーを始めた。1911(明治44)年2月、北大の学生たちが札幌の馬そり屋で4~5台のスキーをつくり三角山で滑った。これが三角山でのスキーの草分けである。この三角山がスキージャンプ発祥の地となった。

沿革・歴史

1917(大正6)年3月北大の遠藤教授が三角山に札幌で最初のジャンプ台(仮設)を建設。
1918(大正7)年7月北大スキー部が三角山北側の通称シルバースロープに木造の仮設ジャンプ台(20m級)を建設。
1922(大正11)年1月北大スキー部が三角山北側のシルバースロープ東側斜面に日本最初の固定シャンツェを建設。「シルバーシャンツェ」と呼ばれた。(以降2年に渡って整備を行う)アプローチ50m・最大傾斜33度、ランディングバーン80m・平均傾斜30度。
1923(大正12)年北海道山岳会が同じ三角山に初級者用シャンツェを建設。「アルファシャンツェ」と命名。アプローチ約23m、ランディングバーン約25m、アウトラン20m。
1927(昭和2)年1月第5回全日本スキー選手権大会のため、札幌市が当時「東洋一の大シャンツェ」と言われた「札幌シャンツェ」を建設。アプローチ65m、35mの飛躍距離が可能とされた。「大倉シャンツェ」ができる1931(昭和6)年まで、この台で多くの大会が行われた。
1929(昭和4)年12月「大倉シャンツェ」が完成するまでの練習台として、ヘルセット中尉の設計により荒井山に40m級の「記念シャンツェ」を建設。第1回・第2回(1930・1931年)宮様大会は、このシャンツェで行われた。台の名称は「森永シャンツェ」「荒井山シャンツェ」と変わり、現在に至っている。
宮の森ジャンプ競技場のあゆみ

冬季オリンピック札幌大会70m級ジャンプの舞台

冬季オリンピック札幌大会の開催が決定した当初、70m級ジャンプ台は「大倉山ジャンプ競技場」に併設していた「雪印シャンツェ」を改造して使用する計画であった。 しかしその後、検討を重ね70m級ジャンプ台は宮の森(旧十二軒沢)に単独で建設することになった。 1969(昭和44)年5月着工、全施設はプレオリンピック開催直前の1970(昭和45)年11月29日に竣工した。 総事業費3億9500万円。アプローチ103m、ランディングバーン146.91m、ブレーキングトラック94.4m、K点86mの70m級(現在ノーマルヒル)ジャンプ台、観客席は約3万人収容。

冬季オリンピック札幌大会ジャンプ競技70m級メダリスト

1972(昭和47)年2月6日、冬季オリンピック札幌大会ジャンプ競技「70m級」開催(観客は2万2千人)。日本ジャンプ陣「日の丸飛行隊」が金銀銅メダルを独占。

金メダル笠谷幸生(1本目84.0m、2本目79.0m)
銀メダル金野昭次(1本目82.5m、2本目79.0m)
銅メダル青地清二(1本目83.5m、2本目77.5m)

ジャンプ台プロフィール

ノーマルヒル□□□□□□□□□□□
荒井山ジャンプ競技場のあゆみ

札幌で最古のジャンプ台

荒井山シャンツェは、1929(昭和4)年に建設され、幾度かの改修・新設を繰り返しながら、多くの一流選手を育成し、見守ってきた札幌で現存する最古のジャンプ台である。

沿革・歴史

1929(昭和4)年12月大倉シャンツェが完成するまでの練習台として、ヘルセット中尉の指導のもと広田戸七郎氏が改造設計し、「やぐら」を組んで40m級のシャンツェを建設した。この台は宮様のご来道を記念して「荒井山記念シャンツェ」と命名された。第1回・第2回〔1930(昭和5)年・1931(昭和6)年〕の宮様大会はこの台で行われた。
1940(昭和15)年1月改修が行われ45m級のシャンツェとなった。建設費用を出資した会社名の「タイムス記念飛躍台」と呼ばれた。
1954(昭和29)年森永製菓が鉄骨でシャンツェを改造・寄贈し「森永記念シャンツェ」と呼ばれた。
1973(昭和48)年 25m級シャンツェを新設。
1981(昭和56)年11月K点50mのミディアムヒルとK点25mのスモールヒルの2基のジャンプ台が建設された。主に小・中学生が利用。
1983(昭和58)年ミディアムヒルジャンプ台のサマーヒル化が行われ、ジュニアサマージャンプ大会等が開催された。
2003(平成15)10月施設の老朽化とプロフィール(ジャンプ台の形状)が現在のV字型ジャンプスタイルによって飛距離が伸びて不適合なため、2001(平成13)年から3か年継続事業で全面改修を行った。
〔ミディアムヒル・スモールヒルの造成とサマーヒル化、モノレール設置(定員10人)、運営本部棟・審判塔の建設等。〕

ジャンプ台プロフィール

ミディアムヒルK点55m、全長200.0m、標高差61.5m、アプローチ51.0m、ランディングバーン83.0m、ブレーキングトラック66.0m
スモールヒルK点25m、全長138.0m、標高差28.0m、アプローチ32.0m、ランディングバーン46.0m、ブレーキングトラック60.0m
PAGE TOP